やきそば、ハンバーグ、目玉焼き、お好み焼き、もんじゃ、フライ、かつ、カレー… 。                  
おなじみの食べ物によく使われているのに、なぜか案外知られていないソースの歴史。                
「ウスターソース」「中濃ソース」「濃厚ソース」とありますが、
『ウスターソース』が一番早くに親しまれた『ソース』なのです。 
実はその昔、イギリスのある場所で偶然できたことから、
そう呼ばれるようになったとか。
それでは『ウスターソースの歴史』をご紹介します.
東京都ソース工業協同組合から現在販売されているソースも合わせてご覧下さい。

  《 ウスターソースの歴史 》
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1.“ソース”その語源は?               

2.ソースはどこから日本に来たのでしょうか?       

3.『ウスターソース』その起源は?         

4.『ウスターソース』はなぜできたの?       

5.国産『ウスターソース』はいつ頃できたの?

6.“ソース”が“国民的調味料”になったのはいつ頃から?     

7.国内ではどのように造られていたの?

8.“輸入ソース”はいつから市販されたの?

9.現在、東京都ソース工業協同組合から販売されているソース

1.“ソース”その語源は?
 
語源はラテン語のサルスス(salsus:塩した)に由来。西洋料理や菓子などに用いるさまざまな複合調味料。日本では特にウスターソースや濃厚ソースをさす場合が多い。日本農林規格(JAS)にはウスターソース類の規格があり、ウスターソース類とは野菜もしくは果実の搾汁、煮出し汁、ピューレーもしくはこれらを凝縮したもの、またはこれにカラメル、酸味料、アミノ酸液、糊料を加えて調味したものと定義されています。
 ウスターソース、中濃ソース、濃厚ソースは粘度によって区別された呼び
名 。
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2.ソースはどこから日本に来たのでしょうか?
 ソース類がわが国に初めて伝来したのは幕末期、鎖国を開港した直後というのが定説のようですが、常識的に考えると江戸時代の中期、長崎の出島における日蘭貿易の最中にすでに伝来していたとしてもおかしくないようです。ただし、その伝来を現在に伝える文献記録が実在しないためその詳細はまったく不明なのです。
 では、欧米の生活習慣などを盛んに吸収していた明治時代初期はどうだったのでしょうか? 当時の日本はまさに文明開化の時代であり、西洋化がどんどん進む一方、食生活にも変化がみられ、それまで魚介類に頼っていた動物性蛋白を牛肉や豚肉などの肉類、チーズやバターやハムといった加工食品からも摂取するようになった時期です。当時の西洋料理店などで輸入ソースを調味料として使用したとしても不自然ではないのです。しかし、明治時代初期の食品に関する文献にもソースの存在は記されておらず、これも明らかでないのが現状です。ソースは明治10年代〜20年代になると西洋料埋が少しずつ普及するに従って利用する人がでてきました。西洋料理は当時すでに「洋食」と呼ばれていて、この頃になると肉料理やフライには調理人の作った自家製ソースが使用されるようになっていたのです。
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3.『ウスターソース』その起源は?
 イングランドのウスターシャで初めて造られたもので、この名称がつきました。ウスターシャはイングランドのほぼ中央に位置し、ロンドンから北西180kmほどにあるウスターシャ地方の田園都市で、その起源というのは1810年ごろにさかのぼります。
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4.『ウスターソース』はなぜできたの?
 ウスターシャ地方に住むある主婦が余ったリンゴの一片と野菜の切れ端を捨てずに、胡椒や辛子などの香辛料を振りかけ、腐らせないためにさらに塩と酢を混ぜてから壷に入れて貯蔵しておいたのがはじまり。
 ある日、主婦が壷のふたを取ってみると、貯蔵物が自然溶解して発酵していましたが、臭いをかぐと食欲をそそる芳香を放っていたのです。思いきってこの発酵液を調味料に使ってみると味がおいしく、自家製自慢の調味料として吹聴して回りました。やがてこれが地元の企業によって商品化され、英国全土で市販されるようになり、世の中に広まっていきました。
(ウスターシャには現在でも当時のソース会社がありウスターソースを製造しています。リー・アンド・ペリンス社{LEA&PERRINS もとは薬剤のほかに食糧や調味料などを販売していた薬局}はその起源を1823年にさかのぼるウスター市最古のソース会社として知られ、門外不出の製法で造ったソースは世界各国に輸出されています)
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5.国産『ウスターソース』はいつ頃できたの?
 わが国で初めてソースが製造されたのは明治20年前後とされていますが、当時はまだソース自体が一般的ではなく、市販されるまでには至らなかったようです。日本人の伝統的な調味料といえば醤油と味噌。明治時代になっても調味料の主役はこの二つでした。香辛料が強く酸味のあるウスターソースはあまり評判がよくなかったようです。
( 「ブルドックソース55年史」によるとヤマサ醤油の七代目浜口儀兵衛がソースの製造に着目しましたが、渡米中にニューヨークで急死したため、これに代わって通訳として随行しソース製造法を習得していた高島小金治が帰国後、浜口氏の遺志を継いで「ミカドソース」を製造しました。このソースは新味醤油として明治19年(1886年)に製造販売されたものの翌年には売れ行き不振のため製造中止となってしまったのです)
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6.“ソース”が“国民的調味料”になったのはいつ頃から?
 国産ソースの製造は明治19年以降も何度となく企業化されています。明治27年(1894年)には大阪の三ツ矢ソース本舖越後屋で「三ツ矢ソース」を発売、これに続いて明治29年には大阪のイカリソースの初代木村氏が山城屋を創業、英国人のデービス氏の指導を受けて「イカリソース」を製造し、「洋醤」として発売しました。さらに明治30年(1897年)には東京の伊東胡蝶園が「矢車ソース」、明治31年(1898年)には野村洋食料品製造所が「白玉ソース」を製造。また、明治33年(1900年)に神戸の安井敬七郎民が自家製ソースに輸入したリー・アンド・ペリンス社のウスターソースを調合した「日の出ソース」も製造されています。
 こうして徐々に市場へ出回るようになったのです。
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7.国内ではどのように作られていたの?
 当初、ソースは樽の中にボイルした野菜と香辛料を入れ、ここに食塩を加えて3〜4カ月ほど貯蔵してからその液汁を搾り取り、さらに調味料を添加して造っていました。しかし、この製造法だと時間がかかり広い貯蔵スペースが必要となります。そこで、後年になると貯蔵法(醸造法)ではなく野菜類などのエキス分と香幸料、さらに果実野菜原料を加えて短時間でソースが出来る調合法を考案し、製造の効率化がおこなわれ、市場に出荷されるようになりました。
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8.“輸入ソース”はいつから市販されたの?
 明治屋の広瀬角蔵は明治33年に欧州から帰国すると直ちにリー・アンド・ペリンス社のウスターソースを輸入しました。これが好評だったので後年にわたって輸入を継続したのです。当時輸入したソースは、リー・アンド・ペリンス社の2合壜4ダース入り80箱、1合壜8ダース入り10箱、マコノキブランド(甘口)の50ガロン人り2樽、イートマン(辛口)の50ガロン入り2樽でした。
 ちなみに、大町信が東京都新宿区(当時牛込区)の新小川町でソース工場を開業、高品質のウスターソース「MTソース」を製造し始めたのは明治39年(1906年)のことです。ソース製造に携わる前の大町氏は、薬科大学を卒業後、農林省の技師となり、長年にわたって稲作指導に従事、広島農事試験所長を最後に退官し、間もなく上京してこの業に就いたといわれています。ブルドックソース(株)の前身は、初代小島仲三郎氏が明治30年代半ば創業した三澤屋商店(和洋酒缶詰食料品卸商)で、同店が初めて「ブルドックソース」を発売したのは明治40年(1907年)、荒井長治郎氏が「チキンソース」の前身である「スワンソース」を発売したのは明治45年(1912年)のことでした。
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